月亭方正 嫁や子供、過去の苦悩について。若い頃とは?相方とは?

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落語家、お笑いタレントとして活躍されている月亭方正(つきてい ほうせい)さんの嫁や子供などについての情報を紹介します。

元の芸名は山崎邦正。2013年の1月ごろに芸名を改名しています。高座名をもらったのは2008年5月。

方正さんの嫁について

 

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2001年に方正さんは、11歳年下の井藤亜耶さんと結婚します。なんでも、できちゃった結婚みたいですよ。

結婚は方正さんの実家がある、兵庫 西宮市で行われました。

子供の出産予定は2002年の4月ごろ。

結婚時の段階で、奥さんは妊娠3ヶ月を迎えていたようです。交際期間は約3年になります。

結婚当時の年齢は、方正さんが33歳、亜耶さんが23歳です。

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方正さんのレギュラー番組、「ガキの使いやあらへんで!」で結婚の報告と、式の様子を過去に放送していたようです。

結婚後にもガキ使に顔出しで奥さんが出演しています。

※ちなみに方正さんは1990年からガキ使にレギュラー出演しています。

交際のきっかけは方正さんのナンパらしく、場所は六本木。交際一週間でプロポーズしたけど断られたとのこと。

方正さんの結婚に関する記事がありましたので、ご紹介します。

お笑いタレント山崎邦正(33)が、なんと入籍することになった。お相手は井藤亜耶さん(23)

3年前「ダウンタウン」の松本人志(38)と東京・六本木に食事に出掛けた時に出会い、山崎が一目ボレ。

その場で電話番号を聞き出し、猛アタックして交際がスタート。

しかも交際して1週間目にプロポーズしたが、この時はあっさり断られたという。

とはいえ交際は続き、山崎の方は「結婚するなら彼女だ」と心に秘め、2度目のプロポーズのタイミングを見計らっていたところ、亜耶さんの妊娠が判明。

引用:kyunkyun

また、方正さんがお笑い芸人から落語家に転向するときに、奥さんは収入は減っても反対はせずに支えてくれたようです。

しかし方正さんの生活態度が原因で、奥さんを怒らせてしまった時期があったらしく、

芸人時代は僕が飲む・打つ・買うの生活に溺れていても、黙っていてくれていたんです。

僕が苦しんでいると、嫁も察してくれていたみたいです。でも落語家になってから1年半は夫婦喧嘩の嵐。

急に飲む・打つ・買うの生活に文句を言うようになってきて。今思うと嫁も僕のことが心配で必死だったんだと思います。

本気で落語家になろうとするなら、遊ぶことなく打ち込んで欲しいと。お陰で僕も更生できましたから、本当に感謝しています。

引用:女性自身

子供は何人いる?

 

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方正さんには息子一人と娘二人います。

子供たちが生まれた年は、2002年4月ごろに百桃(もも)ちゃん、2003年に来蘭(らら)ちゃん、2012年9月に長男が生まれています。

子供たちの歳は2019年、現在だと、長女の百桃ちゃんは17歳、来蘭ちゃんは16歳、長男は7歳になりますね。

さすがに学校などについての情報は見つかりませんでしたね。

ネット上でよく言われているエピソードに、長男が方正さんが出ている番組、「絶対に笑ってはいけないシリーズ」ぶたれるシーンをみて泣いてしまうという話があります。

月亭には3人の子どもがおり、中学1年生の長女と小学6年生の次女のふたりは、同番組を毎年見ているとのこと。

そのため、「耐性ができた」そうで、ビンタされる月亭の姿を見て、笑っているのだとか。

しかし、3歳の息子は妻が抱きかかえて、テレビから離れた位置に移動させた上に、目を手で覆い隠して見せないようにしていたという。

ところが、妻はビンタシーンが見たく、番組に夢中に。そして、息子の目を覆う手は疎かとなる。

すると息子は、月亭が蝶野のビンタを浴びる光景を見てしまったのだ。そんな父親の姿を見て、息子は黙りこくり、目から涙を流したという。

月亭は、息子の異変に気づくや、「すぐ(テレビを)消せ! 子どもの教育に悪い番組や!」と怒鳴り声を上げたそうだ。

引用:livedoor news

親としての立場があるので、子供には見せないほうがいいと思いますが、今では国民的番組ですし、面白いから難しいでしょうね(笑)

方正さんは基本的に、いじられキャラなので複雑そうですね。

自分はモリマンとの対決をよく覚えていて、よく笑わせてもらいました。

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方正さんの苦悩について

 

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方正さんは自身の芸風が、「いじめられ芸」や「すべり芸」だったので、まわりの人間に頼った芸風にいつも悩んでいたそうなのです。

芸風に悩みつつその後、落語に出会い、方正さんは“これだ!”と思い落語の勉強をするようになります。

落語家になる経緯や、現在の状況についての記事がありましたので紹介します。

桂枝雀さん(享年59)の『高津の富』を聴いて、衝撃を受けたんです。

『これや、自分が求めていたのは!』と思って、もう夢中でした。ツテを頼って、月亭八方師匠(70)を紹介していただいて。

師匠の主催する勉強会の舞台にも出演する許可をもらえたんです。舞台当日までは練習漬けの毎日でした。

僕、大人になってから一生懸命に何か打ち込むことができなかったんですよ。子どもならまだしも、いい大人が挫折したときのショックは半端ないですから。

でも、このときは本気で落語に打ち込むことができたんです。

そうして上がった人生初の落語の舞台。終わった瞬間、観客からは拍手が巻き起こった。

「あのときのことは、今でも忘れられません。もう嬉しくて。僕というより、僕の細胞が喜んでいるというか。

それに自分の魂が『お前が探していたのはこれやったんやで!』と教えてくれているような気もしました」

現在は、50人集めるのがやっとだった観客も、独演会で800席を満席にするほどの人気となっている。

引用:女性自身

この「ツテを頼って」というのは、月亭八方さんの息子、月亭八光さんのことになります。

方正さんは落語の業界にきて、10年経っているのですが、落語家になったばかりの頃は下手、上手だ、と評価が分かれていたみたいです。

上の記事にもありますが、現在は観客が800席を満席にできるほどの実力になっていますので、もう下手ではないはずです。

結果的に方正さんは落語家に転身して正解でしたね。

月亭八光 嫁について。子供(娘)の学校は私立なのか?家(新居)の場所は?父について。

2019.06.15

若い頃とは?

方正さんの若い頃はどんな感じだったのか、調べてみました。

高校生のときです。若い頃はこんな感じだったんですね。

特に方正さんは、

高校時代は女性にモテていたらしく、出身である西宮南高校のミスターに2年連続(2年・3年生)選ばれた。

引用:naverまとめ

また、初期の芸風がイケメンキャラで、

バレンタインデーにダンボール16箱のチョコレートを貰うほどの人気があった。

引用:wikipedia

昔の方正さんは、本当に女性に人気があったわけですね。

しかし、レギュラー番組、「ガキの使いやあらへんで!」でドッキリ企画がきっかけで、「いじられ芸とスベリ芸にシフト」してしまいます。

イケメンキャラの芸風といえば“狩野 英孝”さんがいますが、イケメンキャラの芸風はハードルが高そうなので結果的によかったのではと思います。

相方とは?

 

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過去に組んでいた、お笑いコンビの相方のことですね。

名前は軌保 博光(のりやす ひろみつ)さんといいます。

博光さんは、1986年ごろに、島田紳助さんに弟子入りを頼んだそうですが、断られています。

1988年、大阪でGSX(ガスペケ)というコンビ名で方正さんと一緒に吉本興行に入りデビューします。

1989年にコンビ名をTEAM-0に改名します。改名理由は東京進出のためです。

なんでも方正さんたちは、ダウンタウンよりも先に東京進出していたみたいですよ。

しかし、1993年に解散してしまいます。

その後、方正さんはピン芸人に、博光さんは吉本をやめて、映画の世界に。

映画は、7年かけて2003年に完成させたみたいです。映画タイトルは「107+1~天国はつくるもの~」

6年後の2009年にも続編の映画を完成させています。

博光さんについての、記事がありましたので紹介します。

記事の時期は、2016年10月18日。livedoor newsから。

94年、「やりたいことが見つかった」として、のりやすは吉本興業を退社。

映画監督の道へと進みます。しかし、世の中そう上手くはいかず、映画の資金集めとグッズ制作費のために、6000万円もの借金を抱えることに。

借金でつらい様子

巨額の債務を果たすべく、彼は路上詩人へと転身します。

引用:livedoor news

この路上詩人は、お客さんを見て、思ったことをその場で、即興で誌にするというものです。

この様子をテレビで放送されたらしく、その後は全国で広がりブームになったそうです。

博光さんは、路上詩人のブームのきっかけ、また先駆者でもあるわけですね。

主な活動場所は、東京 渋谷ハチ公前との情報があります。

その後は、2002年に「てんつくマン」という芸名に改名して環境保護活動を開始したり、ネットワークビジネスの会員になったりと転々としています。

2012年ごろにプロゴルファーを目指しているという情報も。

飽きっぽい性格なのでしょうか?色々興味が出てしまい一つに留まれない感じがしますね。

過去に、博光さんについて島田紳助さんが、松本人志よりも天才と語っていたようです。

以下、参考記事

島田紳助から「松本人志以上の天才」と評される。

松本人志よりも才能がある。この発言の主は誰あろう、漫才師廃業を宣言したことでも知られる島田紳助氏。

紳助曰く「感受性豊かなところがいい」とのこと。

そのピュアさゆえに、博光さんは様々なことへと興味を持ち、流浪の人生を歩むこととなります。

引用:livedoor news

路上詩人といった目の付け所、着眼点がすごいので、紳助さんが天才と言ったのもなんだかわかります。

現在は、各地で講演活動やワークショップを開催しているそうです。

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