気象予報士、タレント、俳優で活躍されています石原良純さんについてご紹介します。
生年月日は1962年1月15日。出身地は神奈川県 逗子市(ずしし)。
事務所は1982年に、叔父の石原裕次郎が社長を務める、「石原プロモーション」に所属しますが、1989年に辞めます。
現在は、「湘南ブラザース」という事務所に所属しています。
1997年には、気象予報士の資格を取得されています。
Contents
嫁 稲田幸子さんについて
石原良純、まさかの『ハリポタ』番組バッテキに驚く! #ザ・シネマ https://t.co/Lf5sbg2FSG pic.twitter.com/AKsIYCMEju
— シネマトゥデイ (@cinematoday) February 17, 2017
石原さんは2002年の9月に皮膚科医の医師、稲田幸子さんと結婚されます。
このときの年齢が、石原さんが40歳で稲田さんが28歳ぐらいになります。子供は息子と娘のふたりがいます。
石原さんは、10歳以上も離れた歳の差、結婚だったようですね。晩婚だったのは知らなかったです。
ふたりの出会いのきっかけは、兄の石原伸晃さんが稲田さんを紹介したのがきっかけになります。
交際期間はわずか3ヶ月のスピード結婚。プロポーズは出会って翌月にされたらしいです。
石原さんは、なぜこんなに結婚を急いだのかと言うと、東京都知事でもあった父、石原慎太郎さんに、
40歳までに結婚しないと勘当だ!
と、きつい一言を父親から言われてしまったらしいです。そのため結婚を急いだのかもしれませんね。
結婚前の石原さんは、稲田さんのどこに惹かれたのか?というと、
”物怖じせず父と話せるしっかりした女性で、自分の考えをちゃんと持っている”というところに惹かれたようです。
稲田さんは医者ですので、さまざまな患者と接していたでしょうから、誰とでも話せる人なのかもしれませんね。
石原さんはこの女性となら一緒になっても大丈夫だと判断したのでしょう。
ちなみに石原さんはどんなプロポーズを言ったのかというと、
いつもあなたが笑顔でいられるように守ってあげる
と告白したそうです。
また、稲田さんは石原さんのどこに惹かれたのかというと、”自分にはない、知識や経験がありとても魅力的なところ”に惹かれたようです。
稲田さんは、偶然にも石原さんと同じ大学出身で、慶應義塾大学の医学部を卒業されています。偏差値は平均73。
噂では大学を卒業後は、神奈川県内の皮膚科医に勤務されていたとのことです。
同じ大学だったので、共通の話題などがあったのかもしれませんね。
※ちなみに石原さん自身を含め、兄弟はみんな慶應義塾大学の出身者です。すごいですね。
稲田さんは現在、確定情報ではないですが、東京都目黒区 東が丘にある、「国立病院機構 東京医療センター」に勤務されているようです。
この病院のホームページに勤務医の紹介があり、そこに皮膚科”非常勤医師 石原幸子”と書いてあります。
ただ同姓同名という可能性がありますので、本当なのかはわかりません。幸子さんの歳は、現在ですと46歳ぐらいになりますね。
子供は現在、長男が16歳、長女14歳くらいなので、非常勤でしたら働けますから信憑性は高そうです。
ここじゃなかったとしても、せっかく医者になったので、どこかの病院に勤めている可能性は高いと思います。
次は石原さんの子供についてご紹介します。
子供と学校について

石原さんの子供は長男、長女のふたりがいて、
2003年11月に長男、「良将(よしまさ)」さん、2005年4月に長女、「舞子(まいこ)」さんが生まれています。
2020年の現在だと良将さんが17歳で、舞子さんが15歳ぐらいでしょう。高校生と中学生になりますね。
で、子供の学校はどこなのか?調べてみましたが、さすがにはっきりとした情報はありませんでした。
ただ、噂では小学校は子供ふたり、近所の公立の学校に通っていたとの情報があります。
石原さんは夫婦そろって学校行事やPTAに積極的に参加されていたそうですよ。
※ちなみに石原さんの自宅は、「東京都 目黒区 自由が丘」、「世田谷区 奥沢」、「大田区 田園調布」どれかだと噂されています。
中学校は、難関といわれる私立の中学校を受験をされて合格したようです。
学校は東京都立 桜修館 中等教育学校なのでは?と噂されています。偏差値は66。
場所は、東京都 目黒区 八雲一丁目にあります。石原さんの自宅と思われる目黒区にあるので通っているかもしれませんね。
しかし、この学校は公立の学校のようなので、長男か長女のどちらかなのかもしれません。
もう一つの可能性として、石原さんと妻の幸子さんは、同じ大学の慶應義塾大学の出身なのでもしかしたら、慶應義塾の系列校に通っているかもしれません。
お金はあるでしょうから、教育にお金をかけて通わせるかもしれません。
とくに石原さん自身と兄弟は、みんな慶應義塾大学を卒業されていますから、ありえそうです。家族一家の決まりなんでしょうかね?
※石原良純さんは、小学校から大学まですべて慶応義塾の系列校に通っていました。
しかし、石原さんは2018年のテレビ番組で、”子供の受験のために高校を探した”といった発言されていたらしいので、慶応ではない可能性もあります。
慶応と決まっていれば探す必要はありませんからね。
結局、子供がどこの学校に通っているのかは分からないですね。有名人の子供なのでわからないほうが良いでしょう。
石原さん一家は、政治家や芸能界に進出されていますから、もしかしたら子供が将来、芸能関係もしくは政治家になるかもしれませんね。
父親は東京都知事でしたし、兄弟は二人が政治家、一人が画家になっています。
しかし、あらためて見るとすごい一家ですね(笑)
次は石原さんの兄弟についてご紹介します。
石原さんの兄弟と4男について
石原さんの父親は作家、政治家、元都知事の石原慎太郎さん。良純さんは次男で、兄弟が3人います。
兄弟の経歴をひとりずつご紹介します。
石原伸晃氏「総領事の責任は重い。総領事といえども、ロビイング(活動)をして、歴史を捏造(ねつぞう)するようなことに対しては、ものをいっていかなければならない」 →サンフランシスコ慰安婦像問題でhttps://t.co/txsODEccPC pic.twitter.com/N9sELeLREW
— 産経ニュース (@Sankei_news) December 5, 2017
長男は石原伸晃(いしはら のぶてる)さん。生年月日は1957年4月19日。
良純さんとは歳が5歳、はなれています。
大学は慶應義塾大学 文学部 社会学科を卒業されています。大学の部活動は日本正統 少林寺拳法で、主将をされていました。
大学生のときに9ヶ月ほど短期留学で、「エルマイラ大学」に通っていたそうです。場所はニューヨーク州にあるエルマイラ。
1981年、大学卒業後は日本テレビ放送網(日テレ)に入社されます。部署は報道局でした。
首相官邸、大蔵省、外務省などの報道を担当。
1989年に日本テレビを退職後、翌年1990年に行われた第39回 衆議院 議員総選挙で無所属で出馬し当選されます。自民党に入党。
現在の政党は、自由民主党(石原派)。
11/30⓪#石原宏高 副大臣が令和元年度佐賀県原子力防災訓練を視察します。
・避難退域時検査訓練
・原子力災害現地対策本部の拠点
地域の実情を現場で確認してきます。#石原副大臣 #佐賀県 #原子力防災訓練 pic.twitter.com/BvNbUQj0le— 内閣府原子力防災 (@CAO_GENBOU) November 30, 2019
三男、石原宏高(いしはら ひろたか)さん。生年月日は1964年6月19日。
大学は慶應義塾大学 経済学部 経済学科を卒業。
卒業後、1988年に日本興業銀行に入行されています。
バンコク支店、ニューヨーク支店で、調査役をされていたようです。
2003年に衆議院議員 総選挙に出馬しますが、落選されています。
二年後の2005年に行われた、第44回衆議院 議員総選挙に再選して、長男の伸晃さんの応援もあってか当選されています。
現在の政党は、兄と同じ自由民主党(石原派)になります。
良純さんのもうひとりの弟がこの人か! pic.twitter.com/ZqEPISKMf7
— 気軽なトレンドニュース♪ (@zsBCGdZyobcwqV4) October 13, 2019
四男、石原延啓(いしはら のぶひろ)さん。生年月日は 1966年8月22日。
大学は、1989年に慶應義塾大学 経済学部を卒業。
卒業後はニューヨークにある、スクール・オブ・ビジュアルアーツ ファインアート科に留学。1991年5月に卒業。
現在は、ニューヨークと東京を中心に個展を開くなどして活動しています。
絵は水彩やコラージュを用いた絵画が多かったらしいですが、最近はアクリル絵具を使った、神話的なイメージ絵を描いているようです。
延啓さんの絵についての評価について書いてあったので紹介します。
作品の価格は2006年版の『美術市場』では「号3万円」とされていた。
近現代美術が専門で現代ガラス芸術に詳しい美術評論家の武田厚は「内外のステンドグラス作家は一通り把握しているが、知事のご子息のことは聞いたこともなかった。
三十代、四十代の現代芸術家の間ではどうか分からないが、美術界では、ご子息が絵描きだということはほとんど知られていない」と発言した。
東京都内の有名画廊の関係者は「絵やステンドグラスを見ても才能はあると思う。確かに売れっ子というわけではないが、四十歳くらいで評価が定まる画家などいない。
むしろ才能があっても現代画家の場合は売れないこともある」と説明したという。
2014年に東京で、「DEERMAN ODYSSEIA」という個展を開いていたようですが、それ以降の情報がないですね。
画家で成功されている人は少ないようなので、延啓さんは画家としてうまくいっているのか調べてみたのですが、情報がないので分からなかったです。
幼少期、子供の頃の写真が話題
石原さんの幼少期の頃の写真が、今の顔と変わらないと話題になっています。
石原良純が幼少から石原良純wwww pic.twitter.com/rlxeFtS1VS
— ¥ing 【イン】 (@lil_ying) August 8, 2017
確かに幼少期の頃の顔と、今の石原さんの顔を比べてみると顔の特徴が大きく変わっていませんね。
ただ、白黒写真ですので、余計そう見えているだけかも?
3歳ぐらいの頃の写真らしいですよ。
眉毛が濃いからかすでに大人びた顔をしていますね。
特徴的だったためか愛称も、「まゆ毛」って言われてたみたいです。他の愛称は、よっちゃん、ずみさん。
以上、石原さんについての情報でした。