元プロレスラーでタレントの佐々木健介さんについてご紹介します。
生年月日は1966年8月4日。出身地は福岡県 福岡市 博多区。
事務所は佐々木さんの個人事務所「健介オフィス」に所属しています。事務所の代表取締役は嫁の北斗晶(本名:佐々木久子)。
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引退理由について
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佐々木さんは2014年2月13日に突然、引退会見を開き、プロレスを引退する事を発表されます。47歳でした。
会見で語っていた引退理由は、同年2月11日におこなわれた「後楽園大会」での師弟試合で、弟子の中嶋勝彦さんに負けたことでした。
佐々木さんは、引退試合を行わずに現役引退となりました。また、プロレス界とは完全に決別することを表明されていました。
プロレス界から完全に決別する理由は「辞めた人間が表に出てくるのは好きではない」という佐々木さんの信条からくるものでした。
また、会見では以下のようにコメントされていました。
勝彦の試合で負けたとき、嬉しかったですよね。今まで試合に負けたらめちゃくちゃ悔しかった。
”嬉しかった”って頭によぎった時、プロレスラーとして終わったなと思った・・・・
と語っていました。プロレスラーとしての闘争心が無くなった事からのようですね。
引退会見には嫁の北斗さんも駆けつけていました。北斗さんが佐々木さんの頬にキスされていましたね。
佐々木さんの引退について北斗さんからは「あんた決めたんだったら、いいよ。あとは好きに生きなよ。」と言われたそうです。
引退後、佐々木さんは”スノボーをやってみようかな?”と語っていました。今まで怪我のリスクを考えてスノボーなどは避けてきたそうです。
プロレスは引退したので、今後はいろいろ挑戦していきたいという考えのようです。
ただ、噂では弟子に負けたから引退という理由だけではないと言われています。
引退前の佐々木さんは人望がなく、新日本プロレス時代では、佐々木さんの行き過ぎた練習が原因で選手から恨まれてしまっているそうです。
1995年1月では、当時22歳になる練習生が脳挫傷で亡くなるという事件が起きています。
佐々木さんがスープレックスをしたのが原因と言われたり、練習生がスパーリングをしているときに頭を打ったなど、はっきりしていないです。
2013年8月には、元弟子の西川潤さんが、過去に練習時に暴力行為を佐々木さんから受けていた事をブログで告発。
しかし、同年9月にブログ記事は削除されます。削除理由は分かっていなくて、金で黙らされたとか噂になってますね。
プロレスファンの間では知られていた事だったこともあり、プロレスに詳しい人からは驚きなかったみたいですよ。
佐々木さんには、こういった噂があったので、もし引退試合を開いても、快く思わない選手などからは祝われないし、過去の行いなどの噂がはっきりしてしまう可能性があるため、佐々木さんは引退試合はやらなかったとか言われちゃってますね。
どの噂もはっきりしていないので、本当なのかはわかりませんが、結果的に佐々木さんは引退試合をしないでプロレス界を去りました。
嫁 北斗晶について
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佐々木さんは1995年6月4日に、元女子プロレスラーの北斗晶さんと結婚します。
結婚時の年齢は佐々木さんが28歳で、北斗晶さんが27歳になります。約40日間の交際を経てのスピード結婚でした。
二人の出会いは1995年4月26日に行われたアントニオ猪木さんが主催の「スポーツと平和の祭典」でした。
このイベントは、北朝鮮で行われたらしく、佐々木さんと北斗さんはプロレスラー代表として参加されていたようです。
祭典の試合会場では、お互い気もしていなかったみたいです。
試合後、カラオケバーでレスラー同士の親睦会(食事会)が開かれます。このとき佐々木さんの隣りに座ったのが北斗さんでした。
北斗さんは佐々木さんの隣に座って挨拶をしましたが、ふたりは会話が弾まなかったそうです。
このときのお互いの第一印象は、
・北斗さん
「暗いし、話もつまらない」
・佐々木さん
「あぁ、この人、俺の奥さんになる人だ」
だったそうですよ。
佐々木さんには「髪が長くて、おしとやかで俺の言うことを聞いてくれる人」という理想の奥さん像があったのですが、北斗さんは理想とは全然違ったのに「俺の奥さんになる人だ」
と一目惚れしてしまったという。
佐々木さんは北斗さんに直感的に惚れたらしく「あれ?俺どうしちゃったんだろう?あれ?あれ?酔っ払ったかな?」と困惑?というか、自分の気持ちに整理がつかなかったそうですよ。
佐々木さんはこの日、はじめて北斗さんと出会い、名前も知らなかったうえに、今まで一度も話したこともなかったそうです。
この出会いから日本に帰国後、佐々木さんは連絡先は聞いていたみたいで、北斗さんに毎日電話をしていたそうです。
「プロレスはいつから入ったんですか?北斗晶って本名なんですか?」といった、お互いを知るような内容の電話をされていたようです。
出会いから12日後ぐらいに、佐々木さんは自分の自宅に北斗さんを呼びます。自宅では佐々木さんが玉子丼を作って北斗さんに振る舞ったみたいで、このとき北斗さんは佐々木さんの事を恋愛対象として見るようになったという。
この当時、女子プロレスラーには「酒、タバコ、恋愛」が禁止されていて、バレればクビになるという厳しい決まりがあったそうなんです。
そのため、佐々木さんと北斗さんは内緒で交際していたのですが、スポーツ雑誌に交際を報じられてしまいます。
交際しているのが、バレてしまったので二人で会見を開きます。
会見では、全日本女子プロレスラーの会長に向かって佐々木さんが、
女子プロが三禁なのは分かっていますが、僕は彼女に納得するまでプロレスを続けさせてあげたい・・・
と言います。
この言葉を受け、会長は「こんなしっかりした人なら・・・」と特別に二人の交際を認めてくれました。
佐々木さんの発言を聞いて、このとき北斗さんは「カッコイイ、この人」と思ったそうです。
プロポーズは、北斗さんが佐々木さんの家に来て食事を作ってくれたときに言ったらしく、
何度生まれ変わっても一緒になろう
と佐々木さんがプロポースしました。
しかし、佐々木さんが出会ったときに「俺の奥さんになる人だ」と思ったことを、北斗さんと毎日電話していたときに話したらしく、これを北斗さんはプロポーズと受け取っていたみたいです。そのためプロポーズは2つ思い出があると佐々木さんは語っていました。
ふたりは1995年6月4日に、わずか40日間の交際期間で結婚となりました。
婚姻届は、北斗さんの出身地、埼玉県の区役所で提出されたそうです。
この時期、佐々木さんは試合などで忙しかったらしく、夜行電車で埼玉県に行き、ふたりで婚姻届を提出。次の日も試合があったため、すぐに試合会場に向かった。
北斗さんは女子プロレスラー界では、はじめての既婚者となりました。
結婚後、佐々木さんは北斗さんのレスラーの愛称が「デンジャラス・クイーン」だというのを知ります。
また、プロレスの雑誌で、竹刀を持って血だらけで戦っている北斗さんの姿を見て思わず固まったそうですよ。
ある日、お互い試合がある日があったらしく、北斗さんが先に帰り、その後、佐々木さんが帰ってきて玄関のチャイムを押すと、北斗さんがプロレスのメイクをしたまま包丁を持って「おかえり」と言って出てきたときには、さすがに佐々木さんも怖くて驚いたとか。
交際時は「ご飯作りに行って良いですか?」なんて北斗さんは、おしとやかに言っていたらしいのですが、結婚後はどんどんと鬼嫁化していったとか。
結婚前は、怖い要素はなかったらしいのですが、結婚後は一日に一回は「あれ?」って思うようになり、その後は気づいたら鬼嫁化していたそうですよ。
佐々木さんは「結婚て怖いな」って思ったそうですが、北斗さんと一緒に生活していく中で、怖さの中に”大きな優しさ”がある事に気付いたそうです。
昔は夫婦喧嘩があったそうですが、今はもうしていないそうです。
一時期は、どん底のような時期があったらしく、仕事がなくて、お金もなかったそうです。このとき北斗さんが「なんとかなるさ!」って言ってくれた。
普通だったら「なんでこんな生活なの?」と喧嘩になるところを、笑って言ってくれたときに、北斗さんのこの気持ちに応えなきゃいけないなと佐々木さんは思ったという。
また、佐々木さんは「あぁ、僕たちは家族になったなぁ」とも思ったそうです。
北斗さんの存在が、頑張る原動力と佐々木さんは語っていましたね。
息子 長男と次男について。学校や留学は?

佐々木さんの息子は結婚から3年後、1998年11月6日に長男の健之助くんが生まれています。
次男は2003年3月1日に誠之助くんが生まれます。
現在の息子達の年齢は、長男が22歳で次男が17歳ぐらいになりますね。
学校は、長男が高校生のときは、埼玉県所沢市にある「コロンビアインターナショナルスクール」に通っていた言われていますね。
長男が中学生のときは、カナダにホームステイをされていたそうです。北斗さんは語学教育に熱心のだったためと思われますね。
2019年5月ごろにはカナダの大学に留学されたそうです。長男はかなり英語ができるみたいですよ。
次男は、東京都目黒区にある中高一貫校の「目黒日本大学高校」に通われているという噂です。
長男の出産について情報があったのでご紹介します。
長男の妊娠が分かったとき、北斗さんは試合に出ていたらしく、妊娠検査薬で調べたら妊娠している事がわかります。
つわりは最初、酷かったらしいですが、その後は平気になり食欲が凄かったという。
友達が遊びに来るときに毎回お土産に、北斗さんが美味しいと言っていたケーキをホールで持ってくるそうで、それを毎回、北斗さんは平らげていた。
ケーキの食べすぎなどで、30キロも太ったらしく、佐々木さんが「先生に怒られるから一緒に来て」と心配になり病院に行ったそうです。
体重は長男の出産後、どんどん戻っていったみたいですよ。次男のときは20キロ増えたとか。
北斗さんが妊娠中のときは、佐々木さんがしっかりサポートされていたようで、できることは全部やっていたそうです。
長男と次男の出産のとき、佐々木さんは立ち会っていたらしく、長男のときは右手にデジカメ、左手にビデオカメラを持っていた。
生まれてくる瞬間を動画と写真で収めようとしたのですが、実際に生まれてきたときに、口が空いちゃってボーっとしてしまい撮れなかったとか。
息子が誕生したときは、自分の子供という実感がなかったらしく、洗ってもらった息子を北斗さんと3人一緒になったとき、はじめて父親になった事を実感されたそうです。
次男の出産のときは、この不思議な感情を経験していたので、わくわくして出産に立ち会っていたとのこと。
陣痛に耐えている北斗さんをみて「もう奥さんには勝てないな」と佐々木さんは思ったそうです。